大里峠(おおりとうげ) その2

最終更新日:2022年5月24日

村を救った琵琶法師

大里峠紙芝居 琵琶をひく琵琶法師

それがら、何年も何年もたって。
ある日、米沢街道、今の国道みでだもんだ
そごをの、一人の座頭(ざとう)が歩いでいだど。
座頭は、まなごめね人で、蔵市(くらのいち)という人であったど。
この人は、蒲原(かんばら)の方の赤塚(あかつか)で生まれだ人で、検校(けんぎょう)の位を受げだので、ふるさとへ帰る途中であったど。
秋が近い夏の夜だったので、風もひんやりとしでいで、とっても気もぢのいい日であったど。
大里峠で夜になってしもだので、祠(ほこら)の前の石に腰かげで、琵琶(びわ)をひぎはじめだど。

みでだもんだ→みたいなもので  まなご→目   めね→見えない


大里峠紙芝居 琵琶法師とおりの

琵琶をひぎながら、うっとりしていだら、
「法師様(ほうしさま)、法師様、もう1曲聞かせでくださえんし。」
ま夜中に、女ごの声がしたど。
声だけで、とってもきれいな人だなぁーと思だど。
そして、たのまれるままに、まだ、ひぎはじめだどさ。
それから何時(なんどき)がたって、語り終わってがら、女ごの人に身のうえを聞えでみだら・・・

くださえんし→くださいませ


大里峠紙芝居 大蛇おりの

「法師様、おどろがれるがもしれねどもねんし。実は、おれは人間ではないんでござんす。」
「前には、おっとも、娘もあったんだどもねんし。いろいろわげがあって、大蛇になってしもだんです。」
「いま、こんだに体がおっきょなったら住むどごがせもなってしもだので、近ぐ貝附(かいづけ)のせばとをせきとめ、荒川や女川一帯を大きな湖にして、住家にしょうど思でいやんす。」
「このこどは、だれにも言わのでくたえんし。もし言うだどぎは、法師様の命はねえものど思でくたせんし。一時も早よう、安全な場所へ移った方がようござんす。」
そう言うと、その女ごの人は生ぐさえ風と一緒ょに、どっかへ行ってしもだど。

ござんす→ございます  おっきょ→大きく  せばと→せまいところ
いやんす→います くたえんしくたせんし→くださいませ


大里峠紙芝居 下関へ急ぐ琵琶法師座頭は、

「これは大変だ。早よう下関(しもせき)に行かなければ。」
と夜道を急いだど。
下関の三左エ門様で、その座頭はの、峠でのこどをみんな話したど。
話が終わったどぎには、もは息していねがったどさ。

琵琶と杖(つえ)だげが残ったんさぁ。

もは→もはや


大里峠紙芝居 大里峠へ向かう村人大庄屋の三左エ門様ではの、村のおもだちしょに集まってもろで、どうしたらいいが相談したどさぁ。
座頭がしまいに、
「・・・大蛇は、鉄がとてもきらいです。」
と言っていだので、村中の鉄と名のつぐものみんな集めで、大っきなくぎをいっぱいつぐったど。
そして、みんなで鉄くぎをかづいで大里峠まで行って、あだり一面に打ったどさぁ。
そしたばのー、大蛇せづながって騒いだど。
まるで地獄みだいであったそうだ。


おもだちしょ→おもだった人々

あだり→あたり


大里峠紙芝居 村の無事を喜ぶ人々村のしょは、その騒いだ7日7晩、ひとねむりもしんねで、どうなるのだが心配していだど。

そして、とうとう大蛇は死んでしもだどさぁ。
「ばんざぁーい、ばんざぁーい。」
村のしょは、みんなせで外へ出での村の無事を喜んだどさぁ。
そして、自分の命を捨てで、村を助けだ座頭を、神様どしてまづるこどにしたんだどさ。

今でも、下関の大蔵様には、この琵琶を、神宝どしてまづられでいるがねぇ。

みんなせで→みんなで

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